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回想2001

最近、プログが面白いと聞いて今日から始めてみる事にした。

まず、私の自己紹介をしたいと思う。 私はホソダ興産の社長として22歳の時に親から会社を継いで仕事をしている。自分の中では他の会社に行って仕事を覚えてから(よく聞く、他人の釜の飯を食ってから自分の所に戻る・・・・ってやつ。) って思っていたのだが、つくばエキスプレス2005年開通や他社の借金体質を見て、就職活動中の私に親父が言った。 「他の借金だらけの会社にいっても何の勉強にもならないから、俺が直接教えてやるから。」

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・・・・・・・・ 息子としては他の会社の様子や他社の仕事方法を覚えて見たかったが、特に反対する理由もなかったので自分の所で仕事をすることにした。

細田、22歳になりたての暑い暑い夏の日の出来事である。

そんなわけで、いきなり自分の会社に入った。 (というか学生の時から働いていたのだが卒業後も正式に働く事になった。本心としては少し寂しかった(:_;)) 職場の人は自分が子供の時から働いていてくれている20年選手ばかりである。ある意味大変やりやすい。 子供の時からの愛称「健ちゃん」って呼ばれながら仕事するのも悪い気はしなかった。 ただ、その当時は社長ではなかったのだが社長の息子として誰からも何も言われることなく、毎日何かしら自分で仕事を見つけながらという仕事スタイルだった。 というか少数精鋭の為、皆がいつも許容量ぎりぎりの仕事をしているので誰も進んで仕事を教えてくれなかったという方が正しいかもしれない・・・(^_^;)。

それからはウィークリーマンションの清掃業務、管理業務(アパートの草取り、電球交換、換気扇交換、簡単な督促等)とちょっとしたパソコン仕事をするようになった。

・・・・というかそれしか自分の思いつく仕事がなかったという方が正しい(^_^;)。

最後は何をしていいのかわからず会社の前の土に花を買ってきて植えたりしていた。 (それも大切な仕事なんだけれど・・・・。)
会社の中で皆がやっている仕事は判らないし、みんな忙しそうなので聞くに聞けない。 内部の問題点はわからないから改善しようもないという状況だった。 ただ、会社自体の集客力やお客さん、お金の出入りがだんだん弱くなってきているのは感じる事はできた。

ぶっちゃけて言ってしまうと賃貸入居率の悪化である。(新入りでも一番目に付きやすいから!?) 2月、3月はお客さんも来るのだが全体的に決まらなくなってきたのだ。それに伴い家賃督促する事も以前よりは増えてきた。 それは世間で言われる不景気だからだと言えばそれまでだが会社のトップは常に商売のプロなのでそんな事は言い訳にならない。「売れない」、「入居率が悪い」、「仕事が無い」なら「自分で考えて売る」、「建物の仕様に合わせた人を入居させる」、「仕事を作りだす」という能力が必要なのだ。

そう・・・・それができない人は最初から商売はするべきではないんだよ。 親父は昔から俺に言っていた。

わかっているけどどうして良いのかわからないという状況の中、入居者の獲得方法を考えながら、日々の清掃業務、管理業務に忙殺される毎日が続いた。 というのも私が清掃を始める以前までは清掃業務を頼んでいた別の人がいたんだが、その人に頼めない事情が発覚した後だったからだ。

その事情というのが、社内で働いている事務員さんがあまりの日常業務の忙しさから入居者からの苦情、修理交換、草取り等、定期管理業務をすべてその人(仕事が見つからず困っていた外国の方でした。)に頼んでいた為、年間に数百万円もを支払っていたという事実を親父が発見したのである。

それを見つけた時は親父は大激怒。
「お前らは○×△(清掃している人)の見方なのかー!!」

「なんでこんなに費用がかかるなら私達(事務員)がやりますって言わないんだ!!」 「相手の身になって考えればわかるだろう。何を考えているんだ!!!」

親父は会社で大声で何度も怒鳴っていた。 社員も気まずそうに静まりかえる。

身内の私からみた感想を言わせてもらうと、仕事には常に相手を思う気持ちというか、ちょっとの気付きが大切なんだという事だ。 (その時は自分の力で会社は動かないし、何をしたら会社として経営が良くなるかも判らなかったので、結構〜親父任せだった。)

会社に来て仕事をするようになってから親父が社員さん達に怒っている姿を思い出すと、結局そこに行きつくように思う。(対象は会長である親父に対してであったり、お客さんに対してだったりする。) どちらでも良い事なんだけれど相手を思えばこっちを選択する。 とか 苦情などを受けても人の事だから 「別にいいじゃん何とかなるだろ〜。」 と思えばそれで終わってしまうのだが相手の立場になって考えれば相手が望む事以上の仕事をする。 というのが仕事に対するプロ意識というか信頼される仕事だという事である。

ただ、私から見てもその人達は決して職務を怠慢しているわけではなく、みんな一生懸命働いているのは間違いなかった。

みんなプロ意識を持ってしっかりまじめな仕事をしている。

むしろ私は学生時との環境の変化で2ヶ月に1回は体調を崩していたので、周りの人達は本当に強くて、よく働くスペシャリスト集団でそれぞれが大変すばらしい能力を持った人達だと関心していた。 そんな事があったので今まで管理業務を頼んでいた人には仕事は頼まないようになったのである。 (親父から言わせると国籍の違いから仕事が見つからず困っていたからしょうがなく家の会社で世話をしたのに、平然な顔をして普通のサラリーマンよりも高額なお金をもらっていて、何も言ってこないなんて謙虚さがない、普通だったら貰いすぎだとか言ってくるだろ。と言っていた。) そのような関係で始まった清掃、管理の仕事だったので結構毎日朝から晩まで仕事があった。体力的にもハードだったので毎日過ぎるのがとても早かった。

そうして清掃業務基本に動きながら雨の日など、外仕事ができない時やウィークリーマンションの清掃がない時には、パソコン仕事をした。 学生の頃少しやっていたので、ある程度の仕事はできた。 今思えば社会人になって一番役立った事はパソコンが使える事だったかもしれない・・・・。

これはうちの会社だけでなく、昔からの従業員が沢山居る会社には特に言えるのではないかと思う(^_^;)

具体的には今まで手書きだったものをワード、エクセルにデータとして蓄えたり、ホームページの賃貸情報が業者委託した時のままだったので新たな情報を掲載したりといった感じだった。 私自身もせっかく大学まで行ったのだから掃除、管理業務も良いけどホワイトカラーの仕事というかパソコンに向かう仕事もいいよねぇ〜っという感じで嬉しかった。

自分の中で、なんとなく想像していた仕事がそこにはあったからだ。 ただ、2代目は会社を潰すとか2代目は苦労を知らないから上手くいかないと言うのは世間的によく言われているので、社長でありながら一番の新人らしく力仕事や雑用も一生懸命やった。

又、ちょうどその頃になると、会社の中での業務も判ってきて今まで事務員さんがしてきた手作業仕事をパソコンにデータとして貯めていったらもっと楽になるんじゃないかと考えるようにもなっていた。

例えば契約書等でも大家さんの住所や名前はいつも同じ事を書くのでそこをデータ化して保存しておけば次回からはその作業がなくなるといった感じだ。 見ているとわかるのだが手作業で契約書を書くというのは物件数が集まると大変な作業になっていたのだ。 それに職場にも若い人が居なかったので、パソコン仕事とか、IT化というのはこの会社では、自分がやるべき仕事という自負があったのでとにかく一生懸命やった。

仕事を通していろいろな人に話を聞く機会が増えてくると皆が皆、「あなたの親父は凄い人だよ。」、「あなたの親父は先を読める人だ。」と褒めていた。 そんな親父に追いつけるようとにかくがむしゃらにとにかく働いた。ある意味、自分かできない仕事というか自分らしい仕事を見つけたので嬉しかったのかもしれない。

それに何かの本で読んだんだけれども、仕事は2つにわけられるという。 例えば水を運ぶ仕事があったとする。
一人は @右から左にバケツで水を動かす仕事 をする人。 →即効性が高いが仕事を辞めてしまうと一切動かない。

もう一人は Aポンプや配水管を作る仕事 をする人。 →即効性がないが一度完成すれば業務事態は蛇口をひねるだけで簡単便利。一度造ってしまえば安定した仕事をし続ける。

誰が見ても長い目で見ればAの仕事の方が結果が出せる仕事といえるだろう。

というか経営している方は皆にAの仕事を薦めなくてはいけない。
もちろんそうはいかない仕事も多いとは思うが基本的にはAの仕事をするべきである。
片方は右から左への移動仕事。 もう片方は同じ仕事をしているようでも実績が積み重なる仕事。 時間が経てばたつほど結果に差が出てくる。 経営戦略というのはそういうものだと思う。 長い展望で物事を考えれば当然だろう。 だから積み重なるデータ管理や業務のIT化(ホームページの充実)を一生懸命やった。 ただその時は結果がついてこなかったので、半信半疑だった。

そうして 清掃・清掃・パソコン・清掃・清掃・パソコン・清掃の仕事スタイルの日々が約1年間続いた。 会社が休みのとき仕事があれば社員に代わって自分が出る。(ウィークリーマンションの出入りの清掃等は結構毎日あるんです。)
会社がやっている時も社員が出ているからもちろん自分もでる。 それに加えて2、3月には賃貸アパートの出入りの部屋の清掃もやったので体はボロボロ、気持ちもぐったりした日々はまだまだ・まだまだ〜続く事になったのだ。(^_^;)

そうやって仕事をしながら自分で計画を立ててきちんと仕事をこなしていく事はこんなにも大変な事なのかと良く感じたものだった。 幸い、清掃手順や清掃の仕方は学生時代に不動産業者でアパートの清掃のバイトをやった事があったので、業務内容、業務手順を教わらなくてもできた。 それに加えて個人的に大学生活最後という事で、茨城県内の大学間の交流という活動もはじめた。

そもそもなぜ大学間の交流をしようと思ったかというと、私が居た学校が県内の人が7割というスーパー地元学校だったので仕事やバイト先で知り合う他大学の人や他県の人と接するのは根っからの茨城人の私にとっては、非常に新鮮でとっても楽しいじゃ〜ん!!と思ったのだ

そう思ってから、よくよく状況を考えてみると そうやって茨城の大学に在学する為に全国から来てくれている人達が沢山いるのにそんな人達と接しないなんて〜なんてもったいないっ事なんだ!! 学ぶチャンスの喪失じゃ〜ん。(T_T) と思うようになる。

そして誰か茨城県内の大学間の交流をしていないかネットで調べてみる。 ・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・?

ガビーン!

誰も茨城県内の大学生間の交流なんてやっていない〜!!(ちなみに東京なら大学間距離が近い為にそういう活動があった。)

・・・・どうする!?
・・・・・・どうする!?(アイフル〜♪)

いやいや、アイフルはしない。

・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・ 諦めるのか。

いやだ〜諦めたくないよ〜(;O;) でも、う〜ん じゃー 俺がやるしかない!?か(^^)

と思ったのがそもそもの始まりだ。 今振り返ってもこの活動経験は今の自分を形成している大きな要因、多くの事を学ぶ事ができた良い経験+辛くて厳しい思い出となった。

“人に協力を仰ぐ事、共通の目標に向かって頑張る事、企画を立てること、企画を確実にこなす計画、協力者のフォロー、参加者への感謝の気持ち、失敗や不安リスクを抱え込む怖さ、責任を取る事・・・・・etc” やっている時は一生懸命考えて実行して、多くの人を巻き込んだ以上は責任を持って最後までやる。 その時の自分には仕事との両立は厳しいものがあったが多くの仲間が多大な協力で無事活動終了という形までする事ができた。 この時に協力してくれた参加者、運営者には今でも本当に、本当に感謝している。 こうやって 活動しながら学ぶ、学びながら活動する。 という事を体得したものこの経験からだ。 これは口で言うのは簡単だがやるとなったら大変な事だった。 そうやって毎日毎日が早々と過ぎて、充実度がスーパー濃い生活はまだまだ続く・・・・。

会社仕事としてはいままで会社で人員が足りなくてできなかった事中心に“何をするか”というよりは“何をしなければいけないか”というやっつけ仕事というか「仕事に追われる」、「仕事をこなしていく」という日々が続いたのだった。

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