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ホソダ興産 社長物語

高校時代

高校へは家からの距離が近い!という事で毎日自転車で通っていました。
通学時間も15分〜20分でしたので朝はギリギリまで寝ていられたのが一番良かったです。 (^^)
そして運動自体が好きだったので何か部活をする事にしました。

ただ、中学時代にはとにかく背が小さかったので、バスケットボール部でも最後まで選手にはなれませんでした。

一番ショックだったのは
「おまえが、ディフェンスしても意味無いんだよ!」
と自分でもどうしようもない事を先生に怒鳴られた事です。
(ちなみに私は中学3年生時で身長は152cmしかありませんでした。)

そんな経緯から高校からはテニス部に入る事にします。
運動神経はまぁ・・・普通だったので上達する為に早朝から夜遅くまでとにかく練習を沢山しました。
高校の思い出といったら・・・・間違いなく、テニスになります。(^_^;)
思春期の少年にとってはちょっと寂しい気もしますが、今となってはいい思い出となっています。

そして高校1年の時に、親父が急に
「明日から家事を手伝い(家政婦さん)に来てくれる人がいるから・・・。」
とある女性を家に連れてきました。
私たち兄弟は、言われるがままに受け入れたのですが、その女性はなぜか泊まり込みで生活し
1ヶ月、2か月、3か月たっても・・・・帰る素振りがありません。
兄弟みんな頭にきて、「あの人はいつ帰るの!?」と親父に聞いても
「手伝ってもらっているから・・・・。」と言うだけで話はそれ以上の進展はありませんでした。


思春期の私達にとって、親の離婚よりも,この事実の方が100倍きつかったです。
(その女性は親父の彼女でした。私自身も30歳を超えるまではこの話は恥ずかしくて、親友にさえ話すことができませんでした。)

尊敬する親父が社会的に良くない事をしている・・・・。子供心にそれが許せなかったのです。

でも、その人がいたおかげで私たち兄弟は一致団結し、お互いを思う気持ち、絆はとても強くなりました。
そして3人兄弟がみんな巣立った15年後に親父はその人と再婚することになります。

今考えれば、親父が一言
「将来は結婚を考えているから。」
と最初に言ってくれればどれだけ楽だったか・・・。

そんな環境でもあったので、勉強はあまりせずに、部活やってゲームやって・・・・。
時々、地元の友達の所に遊びに行って。
深夜に近所の公園に集まってみんなでサッカーしたり、牛丼食べに行ったり。
毎週水曜日には近所のコンビニへ少年サンデーを立ち読みしに行って・・・・。
とにかくなぜか家にいる親父の彼女の存在を忘れたかったので、できるだけ家に居ないようにしていました。

こうして、もんもんとした毎日が過ぎていきます。


そして気が付けば高校3年となり・・・・進路を決める時期に来ていました。

私は両親の離婚、自宅にいる親父の彼女、その延長線上に日本経済の悪化を父の言葉から理解していたので経済的にもできるだけ親に負担をかけたくないと思っていました。

新聞、テレビニュースでも連日不動産バブルが弾けた、景気はどん底という位ですから、田舎とはいえ不動産屋が影響を受けないはずがありません。

又、2年前に姉が大学に行ったばかりだったのでその負担も父にとってはとても大きかったのを知っていました。
そういう状況だったからか当時の父は元気な素振りをしていても体の調子はいつも悪そうで天気が悪くなると
「神経痛で体がしびれる。」とよく言っていました。

そういう感じだったので進路を決める前に、私は父にこう切り出しました。
「俺、家の状態も苦しいの知っているから高校出たらすぐに働くよ・・・・。」

自分の道は自分で切り開くものだと親父から教えられた私は高校を出て仕事をする覚悟を決めていました。

しかし、親父は思ってもみない答えを返します。

父「大丈夫だよ。俺が何とかするから大学行けよ。」

・・・・
・・・・・・・・・・・・

私「いや、いま会社も大変なんでしょ。実家の仕事を手伝うよ。」

父「大丈夫だよ。心配するな。」

・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
私もとても悩んだ上での選択でしたしその後、いろいろ話しましたが結論は変わりませんでした。

私は大学に行けることになったのです。

ただ、自宅にいる謎の女問題があったので、今までは兄弟3人なんとか助け合ってきたのですが
姉につづき、私も妹を残して実家を離れるのは妹が精神的に大丈夫か心配になりました。
そしてなんていうか、自分だけが逃げたようで・・・・うしろめたい気持ちでした。

妹一人を残して、いじめられないだろうか。
嫌な事を言われたときに、まだ小さいから言い返せないよな・・・。
私が働きながら一緒に住んだ方が、妹の心のよりどころになるんではないんだろうか・・・・。
18歳の未熟な私には決められない事ばかりでした。

更に、大学に進学してもいいと決まっても今年ストレートで行けるのかも・・・心配でした。
今までの不安や悩みに、大学進学が加わります。

そして、進学はできないだろうと思っていたので友人とボンバーマンや深夜のサッカー、毎日朝から晩までテニスに明け暮れた青春の日々は・・・・今さらながら取り返しがつきません。

うーん。チャンスなんだから盛り返すしかない!
わかっていても日頃の習慣はなかなか変わらずに途方に暮れる日々が続きました。

そんな時によく遊びに通っていた進路指導の先生から指定校推薦という制度がある事を教えてもらいます。
それを聞いた瞬間・・・・・ 私はそれしかない!と目をキラキラ輝かせました。

将来は不動産屋を継ぐつもりでしたが、もし不動産屋の子供じゃなければ
学校の先生になる事を夢見ていました。
ですので、たとえ先生になれなくても大学に行けるのであれば先生の資格が取れる所へ行きたい!
今の成績で教員免状が取れる大学は一つだけだったので・・・・自然とそこに決まりました。

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