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ホソダ興産 社長物語

大学時代(後編)

そんな事があったので佐藤さんには仕事は一切頼まないようになります。

そのような問題から始まった清掃、管理の仕事だったので私1人では十分な仕事量でした。
体力的にも非常にハードだったので毎日過ぎるのがとても早かったのを懐かしく思います。

そうして清掃業務を基本にとにかくがむしゃらに働きながら雨の日など、外仕事ができない時やウィークリーマンションの清掃がない時だけ、パソコン仕事をします。(パソコンはまったくの素人でしたが、ある時ゼミのホームページを作る事になり独学で勉強してある程度パソコンが使えるようになっていました。)

今振り返ればホソダ興産に入って一番役立った事はパソコンが使える事でした・・・・。
これはうちの会社だけでなく、中小企業には特に言えるのではないかと思います。
今の中小企業に絶対的に必要なのはIT化です。(^_^;)

具体的には、今まで手書きの案内文、契約書をパソコンでデータ化したり、ホームページの賃貸情報をマメに更新したり、大家さんへの報告書を毎月印刷したりと基本的な事務仕事でした。

というのも、手作業で契約書を何十枚も書くというのは非常に面倒で大変な作業になります。そしてその作業も経理担当者1人で何とか抱え込める仕事量だったので、その人が居ない時には作成状況がわからない(契約書が作成してあるのかわからない)、それに関連してお客さんとのやり取りもわからないという悪循環でした。

それに職場にも若い人が居なかったのでパソコン仕事やIT化というのは自分がやるべき仕事だと思って清掃以上に一生懸命やりました。

ただその時は全然結果がついてこなかったので、やっている事自体が正しいのか、今後楽になるのか半信半疑だったのも事実です・・・。

私自身もせっかく大学まで行ったのだから掃除仕事は全然悪くはなかったのですが、それ以上にパソコン仕事ができる事が嬉しかったんです。(^^)
そんな中、2代目は会社を潰すとか2代目は苦労を知らないから上手くいかないというのは世間的によく言われているので、社長でありながらも一番の新人らしく誰からも何も言われないようにと、とにかく力仕事や雑用、雑務も一生懸命やりました。

それに関連して大学4年生だった事もあって就職活動の為に都内へも良く行ってました。
私も大学を卒業して最初から自分の会社に入る気はなかったので、東京か日本で商売が一番厳しいと言われる大阪で自分の腕がどこまで通用するのかを試し、そして強くなって・・・・戻ってくるというイメージを考えていました。(一般的にも最初から自分の家に入るよりも他人の釜の飯を食ってこないと自分に甘くなる!と言われていますので・・・。)
そうして、不動産屋で一番忙しい2月~3月の時期に度々、都心へ向かう事になります。

ある時、不動産屋にとって一番忙しい時期にたびたび都心へ向かう私に父が言いました・・・・。

「つくばエクスプレスももうすぐ開通するし、他の借金だらけの何の工夫も無い会社に行っても何も歯車の一部になって全然勉強できない。そういう会社に行くなら俺が直接教えてやった方が勉強になるよ・・・。だから就職活動なんてしなくていいから。」

私としてはどこまで自分が通用するのか腕試ししてみたかったのですが、残念ながら!?
その一言で・・・・私の就職活動は終わってしまいました。(;_;)

結局、私は自分の会社で働くことになったのです。

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